なんか3人でだらだら書いてる

sumireというサービスを開発している3人がsumireに関係ないことばかり書いてるブログ

国道2号線沿い、倉敷に「下着屋AZZ」という店がある。AZZはアズズと読むんだけど、店自体は下着屋というより、たぶん普通にアダルトショップ。店名の上には「買っていくからまっててネ!」とコピーが書かれてある。語尾に「ネ!」とつけるくらいだから、話し手はおそらく女性なのだろう。つまり、女の人が一人でアダルトショップに入って下着か何かを買って恋人か何かのところへ行くというシチュエーション? それはちょっとハードル高くない? 若干の困惑を誘うけれど、アズズ的にはそういう性に積極的な女性像を推奨しているんだと思う。

 

アズズの辺りは、よく渋滞する。渋滞したときは、アズズの電光掲示板を眺めることにしている。最近、その電光掲示板に「義理チョコよりも」という文章が流れてきた。義理チョコよりも何だろう? と思って見ていたら、

「義理チョコよりも 義理TENGA♡」

まじか!

 

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ゴディバが新聞一面を使って義理チョコの是非を問う意見広告を出すようなこのご時世に、義理TENGAで真っ向勝負。やっぱりアズズは性に積極的な女性推し。コピーライターの強い意志を感じる。

 

そもそも義理TENGAって何? と思って調べたら、TENGA公式発信なんですね。レペゼン岡山じゃなかった。500円かー。義理っぽいお値段も良さげ。ということで、今年は義理TENGAです。見かけたら小倉と渡邊にも買ってあげようと思います。買っていくからまっててネ!

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かわむら

性格が悪くなっていく

あと1ヶ月ちょっとで33歳になる。まさかこの歳まで生き長らえるとは中二病真っ盛りの川村少女は予想だにしていなかったと思うので、生きてるよーって教えてあげたい。ノストラダムス当たらないよー。桂との恋は実らないし、ちゃんと勉強したほういいよー。

 

それにしても、年々性格が悪くなっていく。とくに30を超えたあたりから急加速で悪くなっている。20代のときは、みんなに好かれたかったし、いろいろ頑張ってた。最近は、別にみんなに好かれなくていいと思っているし、さして何も頑張っていない。頑張らなければできなかったことが頑張らなくてもできるようになった、ということはもちろんあるけれど、そのせいか、今ひとつ素直さに欠けている。多かれ少なかれ、同年代はそういった傾向にあるのでは? 30歳で採用を足切りする企業があるけれど、肯定こそできないものの、効率の観点から見ればその判断はあながち間違っていないのかもしれない。

 

やあ、歳をとるって嫌ですね。

「あれもしたい、これもしたい」と思っていたことが「あれもできなかった、これもできていない」に変わり始める。そうして自分ができなかったことを子どもとか未来に託すフェーズに移行していくのだと思うのだけど、託す子どももいないし、託したい未来もない。結果的にどうなるか? なんと、責任転嫁して文句を言いだすのだ! どうにもならない自分を、どうにもならない社会や現状のせいにして。そうして生まれたのが「老害」という言葉なのであった。まじで気をつけよう。

 

どうでもいいけど、女の厄年って、子どもを産んだら「なかったこと」になるらしい。回避魔法かよ。人は希望がないと老害になるけれど、希望があれば生きることができる。そして子どもや未来は希望そのものだ。わたしが何も育まないあいだに、みんな子ども産んで2人になったり3人になったりしてるもんな。すごいよね。心から尊敬しています。佐藤よ、出産がんばったね。まいこよ、君の子どもは世界一かわいい。君らの厄ならわたしがもらうよ。

 

てか調べたらわたし去年が本厄だった。喉元過ぎればなんとやら! あれもしたい、これもしたいと踏ん張ってるお年頃です。とりあえず寿司食べたい、回らないほうの。

かわむら

見るということ。うろこ。

目から鱗という言葉がある。

なにか自分が見えていなかったこと、新しい気づきに出会った時などに使う言葉だ。

 

しかし、この目から鱗という言葉、意味はわかるが、よく字を見た時になぜ目から鱗が落ちるのだと考えたことはあるだろうか。魚の鱗?爬虫類のうろこ?でもなぜ目から?

 

これにはしっかり由来があるらしい。

しかし、生まれは日本ではない。

 

この眼から鱗という言葉は聖書の話に由来するのだという___

 

サウロという熱心なユダヤ教徒がいた、彼はあまりに信仰があつすぎるために、キリスト教徒たちを迫害するようになる。これは神の望みである、自分の行いは正義であり正しいことであると、自分で思い込み、彼はたくさんのキリスト教徒たちを迫害することを厭わなかった。

そんなある日、彼はイエスキリストの声を聞く、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」。

その声を聞いたサウロは目がウロコに覆われ見えなくなってしまう。

目が見えるようになりたい、元に戻してほしい、なんとかしてウロコを剥がしたいともがくサウロだったがびくともしない。

三日三晩、食べ物も喉を通らないような日が続いた。

そんな中サウロは考える。今私はウロコのせいで何も見えていない。いや、何も見えていなかったのはウロコに覆われる前からだったのではないか?

元から私は何も見えていなかったのではないか?

そう自分の存在を悟った時、目から鱗がポロポロと落ちていった。

その後また目が見えるようになったサウロは回心しキリスト教徒になり、後の使徒パウロになった。

 

眼から鱗という言葉はこの「パウロの回心」の話が日本で派生してできた言葉なのだという。

 

自分は何かを見るとき、目の前の相手のこと、自分のこと、本当に見ることができているだろうか?自己中心的になってしまっていないだろうか?、相手を思いやる気持ち、尊重する気持ちを忘れていないだろうか?

自分は普段から何かを見れてるつもりでも、実は何も見れていなかったと気づく瞬間に何度も出会う。その自分の今の存在に気づいた時、誰かの言葉にそれを悟った時、目から鱗が落ち、

真に物事を見れるようになるのだろう。

 

渡邊

大丈夫だよ

sumireのミーティング中、なにかの話の流れで、小倉が「俺、日本出たことないけど」と言った。その言葉を受けて、ふと昔書いた文章のことを思い出し、探してみたので、公開する。約4年前に書いたものだ。

 

東京へ行った。
2014年度、旅行始め。
新年よりも新年度に気持ちが改まるのは、わたしだけではないだろう。

スケジュールを見返すと、昨年度は10回、東京へ遊びに行っているのだった。
東京以外にも、名古屋や福岡、大阪、岩手、台湾。
飛行機の搭乗回数にして、27回(うち21回はLCC)。

よくもまあ、こんなに飛んだよなあ。
けれど、別にわたしは、度々旅行へ出かけることを自慢するような人間ではない(と思う)。

だって、わたしは「何月何日に東京で過ごす週末」を経験した分、
「何月何日に沖縄で過ごす週末」を経験できていない。

「様々な地で暮らすこと」を経験した分、
「同じ地で暮らし続けること」を経験できていない。

自分が多くのことを経験した気になるのは、単なる思い上がりだ。
どんな人であれ、経験できることというのは一つしかない。 
時間は限られているし、同じ時間は戻らないのだから。

先月、29回目の誕生日を迎えた。
若くもないし、若くなくもないと思う。
わたしが何かを経験できる時間というのは、一体、あと何年残されているんだろう。

今年は、二つの決断をすることにした。
その決断が、わたしにとってよい経験をもたらしてくれることを願う。

 

この文章を書いた3ヶ月後、わたしは当時勤めていた沖縄の広告代理店を退職し、フリーライターとして独立することとなる。その後の岡山出張を経て、翌年には岡山への引っ越しを決めている。

転機は、いつどこで、どういった形でやってくるのかわからない。わからないけれど、わたしは一人しかいないので、一つの決断しかできないようになっている。どんな決断の末の経験も尊い。無駄な経験なんて一つもない。sumireを3人で作る経験が無駄になることなんて、絶対にない。

かわむら

なんたらほに

岩手出身です。

と言うと、「全然なまってないねー!」って言われることがあるんですけど、隠しているとかそういうのは全然なくて。さしてなまってないんです、もともと。地元に帰っても大差ないはず。

それでも、「あ、これ方言だったんだ…」と大人になってからようやく気づいた言葉や言い回しがいくつかあるので、紹介しようと思います。

 


気づかない度☆1
「なげる」

捨てる、の意。だいたい「ゴミなげといて」のようにセットで使われるので、他県の人でもわかりやすい。まあ、地方によって言い方が違うのだなーと納得できるレベル。

 

 

気づかない度☆☆2
「しゃっこい」

冷やっこい、の流れを汲む方言だと思うのだけど、今調べたら、けっこう広域で言うらしいですね。意味はそのまま。語感がめんこいよね。

 

 

気づかない度☆☆☆☆☆5
「したっけ」

そうしたら、の意。〜よね、の意。〜だろうか、の意。汎用性高すぎ。

 

「フェザン行ったっけさ、もう閉まってて」
「あー、靴買いたいって言ってたっけね」
「そうそう、話したっけ?」

みたいに使う。

 

「なんで“けっけけっけ”言うの?」って人に言われて初めて気づいたっけな。やんたくなるじゃ。あ、フェザンは盛岡の駅ビルです。

 

 

気づかない度☆☆☆☆☆☆☆7
「だから」

それなので、の意……標準語では。岩手では、それ以外に相槌として使います。

 

「今日、寒くなりそうじゃない?」
「だからさー」

とか。

 

要は「それな」「あーね」です。若者言葉? おらほのとこではずっと言ってだすけ。

 

 

気づかない度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆10
「うるかす」

潤かす、ということだと思う。米をうるかしたり、食後に皿をうるかしたりする。水に浸して水分を吸わせることだそうです。でも、この意訳にすら違和感。“うるかす”は“うるかす”としか言いようがない。

“うるかす”を説明しなければ意味が通じないということに気づいたときは、本当に衝撃だった。わたしは10代を岩手で、20代のほとんどを沖縄で過ごしたのですが、「沖縄の人は”うるかす”って言わないんだなー」くらいにしか思ってなかったです。いや、まじで。

 

“うるかす”は、どうやら北海道でも使われるらしい。どさんこの友達に“うるかす”は標準語ではないということを話したら「え? “うるかす”使えないの?! めっちゃ不便じゃん!!!」って爆笑してた。わかるわかる。

だって、ごはん食べたら、お椀っこうるかさないとわがんねすけな。なんたらほに。って思うよね。

 

何言ってるかわかんない? すっだこどわがってらじゃ。まあ方言にもいろいろあるけど、言語文化は大切にしていきたいよね。まんず今日はこのへんで。んだばね。

 

 

番外編
今知った度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ズック」

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中ズック

これズックって言わないの?! うそ! なんたらほにほに!

かわむら

鉄の処女

インフルエンザに罹った。

おまけに家のwifiも故障したためネットを使えず、人生で5本の指に入るくらい暇だった。

 

 

人と話したりyoutubeみてダラダラしたりするのが好きな自分にとっては苦痛の日々だった。3日ぶりにキーボードさわったけど「こんな感じだっけ?」と思うくらいに違和感。

 

 

まあそんなこんなでチームメンバーに暇だということを必死にアピールするために色々なメッセージを送っていたが、川村から一言。

 

 

「(今日は)節分だ」

 

 

 

 

無粋というか、風情がないというか、自分はあまりそういうイベントとかそういうのに全く興味がない。むしろ冷めている。

 

 

日本には風情と季節を感じさせるいくつものイベントがある。

酒を飲みながら花見することで春を喜び、花火を見れば夏の終わりを感じ、紅葉狩りで秋を楽しみ、クリスマスには冬の良さを家族や恋人、大切な人と共有する。

 

 

決して厨二病とかではないけど、この類のイベントには飽き飽きしている。人混みは避けられないし、結果ゴミが散乱したりする。一番楽しくはしゃいだ人ほど記憶がないので、静かにしていた人ほど片付けに回る。あと人混み。

 

 

じゃあさ、人混みのないイベントあるじゃん!

ほら、節分の豆まきとかさ!ほら家の中にいる鬼を追い払おうよ!鬼はー外!福はーうち!

 

 

さっきはクリスマスとかそういうイベントにケチをつけてきたが、ここまできたら節分にもケチをつけたい。

 

 

まず、鬼を豆で倒せるってどういうこと?!鬼舐めんな?

あの鬼を豆で倒せるのかということに驚き。桃太郎に教えてやれよ。鬼ヶ島に行くのにわざわざ犬と雉と猿を従えて、自分なんかは剣を携えて行ったけど、全部いらないじゃん!豆だけでいいよ!コスト削減!コスト削減!

 

 

百歩譲って鬼を豆で追い払えるとして、「追い出す」ってなんやねん!滅しろ!

家の中から追い出すっていうのは正直根本的なソリューションじゃない。毎年全家庭が追い出すなんていう表面的なソリューションだから、また1年かけて鬼が家に集まってくるんよね。

で、「は〜、また今年もこの季節か〜」って言って鬼を追い出すっていうことをやってる。今日この日に全ての家庭で鬼を「追い出す」ことをせずに「滅する」ことをすれば、来年からは節分なんてせずに済む。コスト削減!コスト削減!

 

 

そしてそのための武器は豆じゃあダメだ。豆だとせいぜい追い払うくらいしかできない。何をつかうのがいいんだろう?やっぱりアイアンメイデンとかかな?

 

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これなら確実に滅せそう。ここに誘導するのが一苦労だけど、豆で逃げ場をなくてここに追い込めばなんかいけそうな感じもする。

 

 

 

ということで今年の節分からは各家庭にアイアンメイデンを置きましょう(適当)。

 

 

五十音に属さないひらがな

湯船につかっているときは、だいたいいつもひらがなのことを考えている。ひらがなとは◯◯のことで〜、とかはない。ひらがなは、ひらがな。

最近はとくに、難しいひらがなについて考えている。「ね」とか「ま」あたりイイ線いってるとは思うけれど、ここはやっぱり「ぬ」でいきたい。「ぬ」は「め」の上位互換だ。二画とは思えないダイナミックな動きは、他のひらがなの追随を許さない。

 

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とはいえ、「あ」の存在も忘れてはならないだろう。躍動感もさることながら、五十音のはじまりを「あ」クラスのひらがなが陣取ることで、ひらがな全体の敷居が高くなっている。これは難しい。

いや、しかし、本当にそれを難しさとして考慮していいのだろうか? 純粋な字面の難しさでいえば「ぬ」に軍配が上がるはずなのに、どうしよう…

そこで公平を期すため、五十音に属さないひらがなを考えた!

 

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これは難しい。まず、なんて読むのかわからない。たぶんしばらくはこの新しいひらがなについて考えることになると思う。「あ」と「ぬ」のいいとこ取りなので、より多くの人に教えてあげたい。

 

 

という「ひらがなのことを考えながら湯船につかる人」のことを考えながら湯船につかるのが、昨年末からわたしのなかで流行っている。誰得?

 


なにぬねのの【うたとアニメーション】

 

まあでも、結果的にひらがなのことを考えているときが多いのは本当。

かわむら