思えば遠くへ来たもんだ
昔言われたことで、たまに思い出す言葉がある。
「まみ(わたしの名前です)って、すげー普通じゃん。でも、普通じゃない環境で普通でいるのって、いちばん普通じゃないよな」
って。
率直に言えば、言われて悪い気はしなかった。そのときのわたしは、沖縄のゲストハウスで暮らしながら、広告代理店勤務をしていた。昼は慣れない仕事を頑張…れていたかは定かじゃないけれど、まあ人並みには働いて、仕事がない夜はおもしろそうなゲストが来れば一緒にお酒を飲んだり、そうじゃなければ自分のベッドに引きこもってネットを見るような生活を送っていた。
「こう言っては何ですが、すごい暮らしをされているのに、見た目はきちんとしていますよね」
目上の方に、そう言っていただいたこともある。これもまったく悪い気はしなかったし、むしろ安心した。そのときのわたしはフリーライターで、沖縄から岡山へ引っ越す途中に気が変わって、札幌のゲストハウスに転がり込んでいた。
岩手で生まれて、22歳くらいで金沢に行って、それから、埼玉、沖縄、札幌、また沖縄、そして岡山にやって来た。今数えたら、人生で13回、引っ越しをしていた。仕事も何度も変わった。社員として働いたのは3社だけだが、バイト程度のものも含めれば数え切れない。バーで働いたり、工場に派遣されたり、ウグイス嬢をしたり、道に座って物を売ったりした。お金があるときもあれば、ないときもあった。家は、ないときのほうが多い。もうずっと、わたしの荷物は本と服と器しかない。それさえあれば、わたしはちゃんとできるらしい。
ここ数年は持ち物も増えたし、いる場所も落ち着いている。でもそれは以前と比較したらという程度のことで、たとえば、
「2週間くらい、いなくなることにしたよ」
「どこ行くの?」
「ないしょ」
みたいなやり取りだけで、突発的に家出してしまったりもする(そのときは結局2ヶ月帰ってこなかった。その間に渡邊と出会った)。
「志望校はここにした」
「部屋を借りたから家を出るね」
「今は沖縄にいる」
「家をシェアハウスにしたよ」
わたしの行動はすべて事後報告だし、必要を感じなければ報告もしない。相談するときは大概すでに心の内は決まっていると何かで読んだし、実際そう思う。であれば相談は無駄だし、わたしは無駄が嫌いなのだ。
わたしが多数派ではないことはわかっているけれど、俯瞰すれば、言うほど珍しい人というわけではないこともわかっている。世の中、変わった人はたくさんいる。奢られるだけで生きてる人とか。ピンキリで言えば、たぶんわたしは中の中。
客観的に自分を見れるようでありたい。否定せず見守ってくれる周りの理解にも目を向けたい。それができる限り、どんなに普通じゃない環境に身を置いても、わたしはちゃんとしていられると思う。
もうじき33歳になる。自分語りの散文で恐縮だが、節目において感じたことをそのまま書いた。
かわむら