居場所がない
ある日を境に今まで交流があった人に避けられるようになってしまったり、好きな店やゲストハウスに出入りできなくなってしまったりするのは、すべてわたしに要因がある。
いろんなところに行けば行くほど見聞が広くなり、新たな価値観が作られていく。人は根っこの性格というのは変えられなくて、ただ、価値観を変えることはできるのだそうだ。そうやって広く浅く作られた価値観は、なかなか狭く深いコミュニティにはハマりにくくて、わたしはどうにも居心地の悪さを感じてしまう。
その結果、たとえば、ていねいな暮らし界隈へ行ってしまうと
(あ、意識高い系ね)
って思われちゃうし、スタートアップ界隈へ行けば行ったで
(こういう女いるよね)
って思われる。たぶん。
まあ、こちらはこちらで、ていねいな暮らし界隈に行ったら
(ブランディングが弱いな)
とか思うし、スタートアップ界隈に行けば
(なんでこんなに理屈っぽいんだろ)
などと思ったりするので、お互い様なのだけど。
ほんの少し、波長が合わない。でも、わたしは人当たりがそう悪くないので、その少しの歪みを修正できないまま、その場を取り繕ってしまう。その繕いも、所詮その場を切り抜けられる程度のものなので、わたしが仲良くなりたいような人たちにはすぐに見抜かれてしまうし、見抜けないような人たちの中にいるのはわたしが疲れる。
ガチのコミュ障からすればわたしなんかはたぶんキラキラしすぎなんだろうし、でも、インスタ上位階級のおしゃれインフルエンサーたちからすれば、わたしの存在は垢抜けない。
フリーライターと名乗れば、かっこいいと言われることもあるけれど、名の知れたクリエイターからすればわたしなどは有象無象に過ぎない。
旅っていいよね! 的な人たちとはウマが合わないけれど、わたしの行動パターンは旅っていいよね系そのものなので、相反する人たちには受け入れられない。
そんなこんなで、心地いいなぁと思える居場所がない。心地いいなぁと思える場所は、わたしのことを好きではない。
仕方ない。慣れた。こういったことを考えるのは、別にわたしだけではないだろうし。積極的に変わろうとも思っていないので、話はここで終わる。こんなわたしにも、少しだけどちゃんと話せる友人はいるので、彼らを大切にしたいと思う。
でも、群衆の中にいるとき、だいたいわたしは、悲しい。
かわむら