自分のアイデンティの由来はどこだろうか。
この前ふとしたきっかけで知り合いになった、スピリチュアル系の人の開催するワークショップに参加した。
怪しいものではなく、いくつかのお題をもとに数人でディスカッションするというものだ。スピチュアル系の人は司会役となり、詰まった時や迷った時にヒントをくれる。内容はというと極めて抽象的なものだ。いくつかのテーマでこれが目に止まった。
「自分のアイデンティの由来はどこだろうか」
意味がわからなかった。アイデンティとは自分が自分たる所以であって、そこに由来なんてあるのか?
ヒントをもらって腑に落ちた。どうやら3つの観点で考えるらしい。ちなみにアイデンティティといっても、様々な点でのアイデンティティがある。
・自分の好きなものは?
・自分の性別は?
・自分の社会的地位は?
etc...
これらについて自分の中でパッと思いついたものがいわゆる「アイデンティティ」だ。それらについて以下の3つの点で由来を考える。
1つ目「そのアイデンティティは自分が意図的に形成したものか?」
これはわかる。
2つ目「そのアイデンティティは誰かに反発して生まれたものか?」
興味深い。あいつみたいになりたくない!という反骨心から形成されることがある。
3つ目「そのアイデンティティは、誰かの期待に答えるために生まれたものか?」
親がそうして欲しいから、彼氏が喜びそうだから。そういう人の目を気にして作られた自己。
別にどれがいい悪いというつもりはない。他者に影響された自分も立派な自分だし、社会に必要とされている。自分が形成した自分はもしかしたら柔軟性がないかもしれない。
普段自分は何を大切にしているのか。自分のやりたいことなのか、大切な人なのか、規範なのか。
知ったところで何も得はしないが、代わりに答えのない問いを手に入れた。
おぐら