人生ハードモード
先日、勤めていた会社をやめた。
勤めていたと言ってもエンジニアの社会人インターンのようなものなのだが、それでもそのままその会社に勤め続け、エンジニアとして成長していけば、後々は正社員雇用も考えてくれると言ってくれた優良企業さんではあった。
しかし、辞めた。
理由は様々だが、一番はその会社で自分を成長させることがこの先難しいと判断したからである。
さてそうも決まれば、いきなりニート。
人生ハードモードの突入である。
この言葉はうちの川村が言ってくれたのだが、妙にしっくりきてお気に入りだ。
一応、辞めたからといってエンジニアリングから離れるというわけではない。
何よりスミレを完成させ、運営していくという使命もあるし、個人的にエンジニアリングはこの先もっと成長させたい能力である。
そして、それとは別に、私の父がオーナーを務めるカフェが経営が厳しいのでそれを手伝い、お客を増やすという役目をもらっている。今後何年かはその二軸で生きていくことになるだろう。
しかし、生きていけるのはその2つが生活費を稼げるほどうまく回ればの話である。
今現在、それらはお金を生まない。
今後失敗したとしたら、ただのアルバイトだけやって食いつながないといけない。
そこに成長という言葉は発生しない。
それはそのまま自分の存在価値の死を意味する。会社を辞めた今、自分にとってそれは命がけの闘いだ。
それがめちゃくちゃに怖い。
足がガクガクする。
この先の自分のすべての行動がそのまま自分の運命を左右する決断となるからだ。
正直、今このブログを書いているのも、自分の今の状況を受け止め、ちゃんと両の足で立つためだ。
会社を辞めたのは自分の信念のもとの決断ではあったし、辞めたことに後悔もしていない、その先の目指すべき自分を常にイメージしながら生きていく。しかしこの決断の先に、何が待ってるのか皆目検討もつかない。あとにも引けない。
こわい、こわい、こわい____。
しかしそんな状況の中で、
自分の内側に、この状況を面白いと思っている自分がいることに気づく。
小さな光だが、そいつはこちらを見ながらニヤリと不敵な笑みを浮かべているのだ。
そしてそいつが私に言う。
「何でもいい、面白いと思うことをやれ。」
それは小さな火だ。
自分が今まで信念として貫いてきた言葉である。
「牙を剥き出し、全身を震わせ、唸れ。」
世の中の当たり前、常識、普通、無意味、無謀
周りの言う、そういった言葉を正面からぶん殴ろう。
「情熱の火をたぎらせろ。」
いま自分は自由になった。恐ろしくも。
先ずテーブルに、生きていくために必要と思われる自分ができることを並べてみよう。
そしてその手札から、自分が全身を使って情熱を注げるものだけを残し、あとは破り捨てよう。
「感謝しろ」
そんな無理をする必要がどこにあるの?
と心配してくれながらもちゃんと私がやることを見続けてくれる愛すべき人がいる。
本当に精神的に支えてもらっている。
こんな自分のことを気にしてくれる、見てくれる人たち、支えてくれる物、ダイレクトに生命を繋いでくれる食べ物、そしてこの運命、それら全部に全身で感謝しよう。
人間独りでは絶対に生きてはいけないのだ。
よし、エンジンがかかってきた。
やってやろう。
我が人生。望むところだ。
一番好きな映画がある。
その中に登場する、詩を引用して、この記事の最後とする。
「穏やかな夜に身を委ねてはならない、
老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ__」