ニーチェ△
ニーチェの『人間的な、あまりに人間的な』にある言葉で、衝撃を受けたものがあるので抜粋します。
最大のうぬぼれとは何か。
愛されたいという要求だ。
そこには、自分は愛される価値があるのだという声高な主張がある。そういう人は、自分を他の人々よりも高い場所にいる特別な存在だと思っている。自分だけは特別に評価される資格があると思っている差別主義者だ。
ニーチェ辛辣〜! これを読んだ当時、ちょうど恋人と別れてしまった友達がいて、彼女は「ちゃんと愛されたい」って泣いてた。
(こいつ差別主義者だ…!)
ってわたしは思った。
まあそれは冗談にしても、ニーチェの言葉は言い得て妙だ。
「愛されたい」は、現代においては「認められたい」という言葉に置き換えたほうがわかりやすいかもしれない。
ほら、よくフェイスブックあたりで見かけませんか? 診断テストの結果をシェアする人。「本当のあなたは繊細で稀有な感性の持ち主です」的な診断結果に「ホントかなぁ?(笑)」とかコメント添えて。
わたしは投稿を見るたび、
(こいつも差別主義者…!)
って思ってます。繰り返しますが冗談です。
診断テストでえへへってなってるうちはカワイイもんだけど、「今の彼氏はわたしのこと全部わかってくれてる」とか、もっとこじらせて「俺のことをわかってくれるやつなんていない…!」ってなっちゃうと、ちょっと心配というか、あー、この人は生きづらいだろうなーって思う。
わからないです、誰もあなたのことなんて。自分ですらわからないようなことを、どうして他人がわかってくれるだろう?
認めてくれる相手に依存したり、認めてもらえなくて傷ついたりといったことは、自分の価値を人の判断に委ねるから、つまり自己肯定すべきことを他者からの肯定に委ねるから起こってしまう。
「わたしってこういう人」って主張を聞かされ続ける相手もつらいし、もちろん自分だってつらい。いいことない。
それが嫌なら。
自分のことくらい、自分で決めなよ。
大切にしたい人がいるのであれば、なおさら。
男と女がどちらも、もっと愛されなくてはならないのは自分のほうだと思っていると、二人の間で滑稽な喧嘩や面倒な問題が生まれてくる。
つまり二人とも、自分のほうがすぐれているからより多く愛される価値があるといううぬぼれにひたっているのだ。
かわむら